自分の好きなものを好きなように作れたら楽しい!?
漫画を読むのに最近ハマっています。
そこで色々調べるうちに漫画編集者の存在意義について考えているのですが、
彼らの役割は「売れる漫画を作らせること」なんですよね。
漫画によりますが、その後のシナリオ展開をどう転がすかは編集者の舵取りによってだいたい決まるのだと思います。
そこでふと考えたことがあります。
「シナリオ展開の舵取りを他人に握らせるなんて、漫画家にやりがいはあるのか?」と。
というのも今までどんな人間でも、自分の好きなように作るほうが楽しいに決まっていると思っていたからですね。
漫画を描くのは体力も精神も削る行為だと思います。
そうして出来た作品は自分の子供のようではないかと。
それを?他人が?口出しして?方向転換させて?なんで?と思いませんか。
これは漫画家という一個人への過度なリスペクトが原因かもしれません。
そう思ったとき、いったん冷静になるために自分だったら?と置き換えて考えてみました。
例えば今年、プライベートでいくつかシステムを作ってみました。
自分の好きなように作ったつもりです。
が、すぐに虚しくなって飽きてしまいました。
何度色々作ってもすぐにつまらなくて飽きてしまう。
あ、説明していなかったけどロムは社内SEだよ!会社の中でごちゃごちゃシステムを作っているよ!
クリエイターにとって”世に出ない”のが一番つらい!?
何が言いたいかというと、
作成者にとって一番虚しいことは、自分の作った子供が世に出ないこと、誰にも使われないことではないかと。
だから自分はプライベートでシステムを作っても虚しくなってしまう。
(まぁ人によると思いますが)
これはおこがましいですが、漫画家も同じではないかと思いました。
最高なのはたくさんの人に読んでもらうこと。
最低なのは誰にも読まれないこと。
つまりユーザーのためには、やりたいことを貫くかどうかに固執しない。
読んでもらえる(≒売れる)漫画を描く。
編集者の役割も売れる漫画を描かせることなら、2人は二人三脚で同じ目標へ進む同士だということになります。
(まぁ全部ここまで自分の妄想なのですが)
結論:相手に喜んでもらう=「やりがい」なのでは!?
さて。
社内SEとしては自分の作ったシステムが使われて、欠かせないものになって、便利だと言われるのが一番うれしいことだと。
嫌なことはせっかく作ったのに全然活用されないこと。
社内SEもどんな仕事もユーザー第一なのではないか。
そう思えるようになったのはつい最近のことです。
社会人になって仕事として受け、ユーザーの役に立ち、やりがいを得る。
これが真に社会に出たということかもしれません。
「やりたいことをやったほうが楽しいに決まっている」という認識が変わりつつあるのを実感しています。
おわり