久しぶりに実家に帰省した。
そしたらお父さんがいなかった。
お母さんに「お父さんどこ?」って聞いたんだけど、「入院してる」らしい。どうやら脳卒中で倒れていたらしいのだ。
お父さんについて
…って書いたけど、ぶっちゃけお母さんから入院についてどう明かされたかハッキリ覚えてない。この話が半年前のことだから薄れてる、って可能性もあるけど、たぶんパニックになってた。
あれから約半年経って、ようやく心の整理がついてきたというか、お父さんも復帰してリハビリのおかげか回復に向かってるから余裕を取り戻してきた。
ぼくは昔からお父さんっ子なのである。お父さんはカッコよくて、でも同時にぼくの中ではかわいい系のお父さんだ。大学まで「とうちゃん」って呼んでた。本人からは「オヤジ」って呼んでほしいって言われてたけどオヤジ呼びは出来なかった。今でも出来ていない。さすがに30歳にもなって「とうちゃん」は恥ずかしいかな?と思っているので、「おとうしゃん」って呼んでる。「とうちゃん」と「お父さん」の中間を狙ったのだ。「おとうしゃん」の方が恥ずかしくね?っていう意見は認める。
見た目で言うとワリオって感じだ。
でもピアノを弾く。ピアニストなのだ。それもかっちょいい。ワリオっぽいから指は短い。ぼくの指の半分しかないのに、どうやって鍵盤押さえてるのかは今でも謎だ。
脳卒中だって話を聞いたとき、背中に寒気が走った。脳系の病気で一番ヤバいやつじゃね?って思ったのだ。お父さんは今年で88歳だから、もう歩けないかもしれない。ぜんぜん覚悟できなかった。「あの時は覚悟したぜ」って言いたいけど、全然パニックだった。
実は年々帰省するたびにお父さんが小さくなっていくような気がしていた。年だから、老いが迫って来ているから、うちに秘めていたエネルギーが小さくなっていくのをひしひしと感じていたのだ。昔は銭湯に一緒に行くと、お父さんの下半身はいつもボーボーだった。本人も「昔はよくゴリラって言われたなぁ」って笑ってた。アソコの毛もすね毛もボーボーなのだ。でも数年前に一緒に入った時は「毛をむしられたチキン」みたいだった。毛が全くないのである。誰ですか?って思った。毛ってエネルギーの表れなのかもしれない。もし関係なかったらごめん。美容脱毛とか頑張ってたらごめんな、お父さん。
1人では歩けなくなった父
帰省してお父さんを銭湯へ連れて行った。退院後の念願の銭湯だったそうだ。↑がその図である。お父さんは1人では歩けなくなっていたから、お母さんと両側から手を繋いだのだ。20年前はぼくが真ん中だったはずだが、その対比が面白いような物悲しいような。あの頃は家族の中でお父さんが1番体格が良くて、背中も広くて見上げる存在だったのだ。
お父さんと手を繋いだのなんて20年以上も前のことだ。こんな手だったなぁ。ゴツゴツしていて太くて硬い手だった。ぼくのスマートかつエレガントで、毎回初対面の人に「手がほっそりしてて綺麗ですね」って言われる手とは大違いだった。あとしなやかで流麗な動きができるし、爪も全く手入れしてないのに常にツヤがある自慢の指とぜんぜん違ってお父さんの指は短かった。お父さんの手は不恰好だ。でも自慢のお父さんの、自慢の指だった。この手を握るためだけにもっと頻繁に帰省しても良いなと思った。