年収が高い=偉くて、年収が低い=劣るのか?【ポメラニアン理論】

僕は割と昔から「他人と比べてしまう」癖を持っていまして、それは根本のところで「他人から見て自分はどう見えているのか」の思考癖があることが原因なのですが、
その結果、「年収」についてたびたび考えてしまうのです。
まず僕は自分の同年代と比較して平均より少し下くらいの年収だと考えています。
あくまでこれは自分の周りの人と比較しておりますので、周りがもらい過ぎなのでは?という疑念もあるのですが、
事実、周りの人よりもらっていないのでコンプレックスがずっとあります。
例えば、
同級生でで年収600万や800万の人がいると羨ましさ、というより自分への不甲斐なさを感じてしまうのです。
これを彼女に伝えると
周りの人と比べても仕方ないんじゃない?
と返されるワケですが、
確かに周りと比べても意味ないとは頭で理解していても、真に納得していないのです。
やはり年収は数字で出てしまうため、=戦闘能力のようにその人の価値を測るものと考えてしまいます。
僕が仮に彼らの輪の中に入れば、戦闘力的に1番「獲物感」が強いのでメッタメタでしょう。
かといって例えば同年代で自分より低い人もいるのですが、その人たちと比べて自分が高くとも安心した事はないのです。
年収で安心することは今までなく、考えるたびにネガティブになってしまいます。
具体的には、年収がこれっぽっちしかないのが恥ずかしい、とか
これしかないのなら将来不安だ、とか
これしかないのなら自分は無能で劣っていら人間だ、とか
そういったネガティブな考えに至ってしまいます。
ただ、「もっと働けばいいじゃん?」と思われそうですがそれにはNOと拒否せざるを得ません。
これ以上の労働はしたくないのです。体力的にも厳しいです。
そんな中、「年収を気にしないよう」常に自分を納得させるためのロジックを発明しようとしてきたのですが、その結果ひとつの話を思いついたので共有しようと思います。
あるところにドーベルマン、ダックスフンド、ポメラニアンの3匹の犬がいました。



この3匹は人間の家に飼われているのです。
この家庭では昔ながらの家というか、猟犬を使役して狩りをさせる方針を持っています。
猟犬であるドーベルマンとダックスフンドは野鳥を狩りに毎日出かけるのです。

ドーベルマンもダックスフンドもどちらも起源は猟犬だったとはいえ、体格やスタミナに大きな差があります。
ドーベルマンは動き回る野鳥を相手でも並外れたスタミナとスピードで素早くとってしまいますが、ダックスフンドは洞窟のアナグマなどを狩るのに向いた犬種ですので、野鳥相手だと分が悪いのです。
ドーベルマンは毎日野鳥を3羽も捕まえますが、ダックスフンドは多くて1羽しか捕まえられません。
それでもダックスフンドは飼い主に褒められるために試行錯誤して毎日3羽捕まえられるようになりました。
ですが無理がたたって、ダックスフンドは怪我をしてしまい、動けなくなってしまいました。
体格やスタミナなど、基本的なスペックが違う犬種にとって、他の犬種の当たり前は当たり前ではないのです。
これがいわゆる「仕事選びの向き不向き」と同じで、ダックスフンドはドーベルマンの真似をして野鳥を狙うべきではなかったのです。ダックスフンドは彼なりの活躍の場があったはずなのです。
さて、ここからが本題です。
仮に別の家でも似たような家があったとして、そこの家のドーベルマンは生まれつき前足が弱かったのです。あるいは体格が小柄だったり、アゴの力が弱かったり、生き物を襲うような本能が薄く平和な性格だったり。
他のドーベルマンが野鳥を3羽捕まえられるとして、この生まれつき難があるドーベルマンは2羽しか捕まえられません。3羽も捕まえられないのです。
でも難があるドーベルマンは、彼なりに試行錯誤して3羽捕まえられるようになりましたが、無理がたたって前足に怪我を負ってしまったり、精神的な病になってしまいました。
僕が問いたいのは、本当に3羽捕まえるための努力は必要だったのか?です。
言い換えれば、(現時点の)年収が低い人が、それでもちゃんと年収を得られている人が、年収を上げるためにさらに無理をして努力をする必要があるのか?です。
他のドーベルマンが3羽獲っていたために、それに追いつくために無理をしてしまったのです。
生まれつき難があるドーベルマンが、他よりも捕まえられる数が少なかったとして、誰が責められるでしょうか?
現に、誰からも責められていないのです。
そして彼は、彼なりに頑張っていたのです。
この難があるドーベルマンの失敗は、「他は3羽獲っている」という比較に踊らされて2羽捕まえられた自身を認められなかったことです。
そして2羽捕まえてすごい!と言ってあげられる他者がいなかったことです。ダックスフンドは1羽ですから、このドーベルマンは自身を認めてあげられる根拠を持っているはずなのです。
つまり、(年収は低いけど)頑張って稼いでる僕、凄くね!?!?って僕自身が認めてあげられないのが失敗の原因なのです。
そして今まで触れてこなかったポメラニアンはどうしているのでしょうか?

こいつは何をしていたか?
こいつは!!!!
猟犬じゃないから狩りには行かないし!!!!
人間の家で女の子とイチャイチャしてました!!!!
ポメラニアン「野鳥が3羽?2羽?
どーでもいいワン!」
ポメラニアン「おい人間。ワイにキスしろワン!!!」

ポメラニアン「うむ。悪くないワン!60点!!!」

ポメラニアン「ベロベロベロベロベロベロベロベロ」

ポメラニアン「早く手入れしろワン」
ポメラニアン「野鳥とかなんとか、さっきからこの記事うるせぇワン!!!意味わかんねぇワン!!早く寝ろワン!」
ポメラニアンからの手紙を預かっています。
拝啓、ロム様
私はポメラニアンです。
さっきから黙って聞いていれば、野鳥が何羽捕まえてると偉いとか劣っているとか、年収が高いと偉いとか劣っているとか
全くもって、非常に興味ございません。
私は野鳥がどうとか考えた事がないのです。
これまで人間のバカマンコとバカチンポ…いえ失敬、人間の女と男に対していかに媚を売るかを考えて参りましたので、
いくら野鳥を獲るかというゲームの話は世界が違くて分からないのです。
確かに私とドーベルマン、ダックスフンドは同じ「犬」という種類で共通しております。
しかし奴らとは違う生き物なのです。
人間社会も同じではないでしょうか?
これほど多様化した社会で、それぞれの生き方や働き方、幸せの概念も違う中で十把一絡げに野鳥の数だけにフォーカスして偉いか劣っているかを測るのは不毛ではないでしょうか。
私は今日も今日とてバカマンコに擦り寄って餌をもらうことに生きがいを感じております。
おっとまたバカマンコが呼んでます。
やれやれ…愛想振り撒いてやりますか。
それではまたいつか。
ワンワン!!!ハァハァ…!キャンキャン!!!(走り去る音)
みなさん。
僕が伝えたいことは伝わっているでしょうか。
ポメラニアンは犬の中では下等種なのです。1番戦闘力は低いはずです。ですが彼は一切劣等感を考えたことはありません。
ただ僕たちのダックスフンドが、ドーベルマンが、傷を負いながら精神を追い込みながら野鳥を獲っているなか、
こいつらポメラニアンはただ体毛がフワフワだというそれのみを武器にして野鳥ゲームに参加していないんです。
全ては捉え方です。
年収が高い=偉い?そんなことはありません。数字は多けりゃいいもんじゃ無いのです。現に、数字を持ってすらいないポメラニアンが1番幸せそうじゃありませんか。
そして、
働いてる人はそれだけで偉い!!!!!すごい!!!みんなカッコいいい!!!素敵!
働いた報酬が多いか少ないかより、まず自身が働いていること自体がとても偉いことなのです。
おわり